好き嫌いぐらいは好きに言いたいよね?
”好き嫌い”は相対価値の最もたるモノだけれども、これを絶対価値と捉える傾向が多い。
これも、現代教育の弊害かな?
「この料理、好きじゃない」って言ったとき、単純に相性の話でしょ?
Aさんには合わないけど、Bさんには合うかも知れない。
その料理が”絶対的”に不味いという訳じゃない。
じゃあ、「この料理、旨くない」って言ったときは?
これも同じだよ。
例え、著名な料理評論家が言ったって、同じ事。
旨い不味いに絶対的な基準がある訳じゃあない。
その人にとって、旨くなかっただけ。
料理に限らず、物事に”絶対的”な価値判断基準なんて無い。
まあ、そこまで極端な例はここでは除いて、”好き嫌い”を絶対価値と判断するケースが多々あって困るよ。
「白人が嫌いと言うと英雄だが、黒人が嫌いと言うと差別。」
これって明らかに間違ってるよね?
個人的な好き嫌いと政治信条、絶対的評価がごっちゃになってる。
┐( ̄~ ̄)┌
”好き嫌い”は、単純に相性の問題で、評価じゃない。
そうしていかないと、”好き嫌い”すら安易に使えなくなっちゃう( ̄△ ̄)。
広義の言葉狩りに発展しちゃうよ。