素読と解題
現在の学校教育は、プロイセン(旧ドイツ)の軍隊教育を礎としている。
これは広く世界的にも同様で、日本は明治維新以後、富国強兵のかけ声と共に導入した。
まあ、元々が軍隊教育だから、”知識”が画一的に成らざるを得ない。
では、江戸時代では、どのような教育をしてきたのか?
寺子屋で行われた教育の基本は、「素読」と「解題」だ。
「素読」とは、主に「論語」などの漢籍を”意味もわからず”読み上げること。
「解題」とは、読んだ書物について、自分の考えを発表したり、議論したりすること。
要は「知識」の「知」を「素読」でたたき込んで、「識」を「解題」で創っていく教育だった。
頭の中に個々の「知」を置いていき、その「知」と「知」を繋ぐシナプス(=「識」)を自分で創っていく。
その創り方の過程が、人それぞれなので、新しい発想やオリジナリティが生まれるのではないか?
現代の教育で問題なのは、この「識」の部分まで、教え込んでしまうことだと思う。
確かに、その方が効率はいいのは否定出来ないが、極めると、兵隊の様に没個性の人間を量産してしまう。
学校教育がうまくいかなかった人程、新しい発想やオリジナリティがある様に思うのは、既存の「識」を教え込まれていないからだ。
しかしながら、そう言う人たちは、そもそもの「知」が掛けているところが、残念なところ。
”個性はあるが稚拙”な感じになりやすい。
学校教育とは別に出来る家庭教育とはどんなのだろう?
「知」に関しては、学校教育で充分なので、「識」の部分を(教わるのではなく、)自ら創れる様に教育すればいい。
・自分なりの考え方を述べさせる。
・家族内でそれぞれの考えをぶつけ合う。
なんてのが、いいのかも*゚∀゚)ノ。
学校教育で教えられる「識」に流されない様にするのがポイントだよね(=^▽^)σ。
P.S.
自分の子供達には、「考え方としてこう言うのもあるよ」って事を教えていきたい。
色々な”答え”とそれに至る色々な”考え(思考)”、”考え方(思考方法)”そして、”考えるときの視点(思考ポリシー)”があるんだと言うことを教えていけば、知識も平面的にならずに済むと思うんだよね。
そこから先は教育方針と言うことになってしまうけど、個人的には、自分の子供達には、メリットがあることは全て与えていきたいと。
デメリットの部分は、自分で何とかしろと(笑)。
もちろん、取り除けるモノは除いて、回避出来るモノは回避して、こっちで出来なければ、その方法も教える。
デメリットがあるから、与えないと言うやり方は、極力、取りたくないな~って思ってる。
(まあ、ウチは娘ばかりだから、そうそう乱暴には育てられないけど・・・ヾ(-_-;) )
P.S.
次女のは長女より、難しいかな。
長女の「識」をコピーしちゃうトコロがあるからね。
基本的に第二子はそう言う傾向があるよね?
気をつけないとd( ̄▽ ̄)。