聖なる実験
集団的自衛権云々のときに書きかけたけど、忙しくてそのまま。
物語部分は書いたので、時期は外れだけど、参考に書きかけを。
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ウィリアム・ペンというクエーカー教徒の話
クエーカー教と言うのは、キリスト教プロテスタント系の一派で、特徴としては非暴力、更には、別の宗教・人種にも公正であることを是とする温和な派閥。
新天地アメリカに広大な土地をもらったウィリアム・ペンは、その土地をペンの森(ペンシルベニア)、その首都を兄弟愛(フィラデルフィア)と名付けて、そこで『聖なる実験』を行う。
その実験とは、クエーカー教の教義に基づく国家建設。
一番の特徴として、当時としては考えられないことだが、アメリカ先住民とも融和していくこと。
法と秩序を守るために武力が必要であると判断される場合にだけ暴力も可とした。
しかしながら、クエーカー教徒は非暴力主義なので、クエーカー教徒でない人たちを保安用に雇い入れた。
しばらくして、フランスとの戦争がささやかれ始めると、軍事用にクエーカー教徒ではない新たな入植者たちを呼びよせないといけなくなった。
(あくまでも、クエーカー教徒は非暴力主義なので。)
その新たな入植者は、当然のごとく、アメリカ先住民の土地を奪い取っていった。
そして段々とクエーカー教徒が少数派になると、先住民との関係はどんどん悪化していった。
1756年、ペンシルベニアの総督とその評議会は、アメリカ先住民のデラウェア族とショーニー族に宣戦布告した。
これを受けてクエーカー教徒は政治から離脱。
ペンが始めた『聖なる実験』は、75年であっけなく幕を閉じた。
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教訓は?
理想を追い求めても、現実に即さなければ、結局、ダメになる?
暴力的なことに目をつむって、他人任せにしちゃだめ?
なんだろう?
平和憲法の施行が1947年だから、2022年で75年。
GHQが始めた『聖なる実験』は、この先、どうなるんでしょうか?