放送禁止用語は、焚書と変わらない!
先日、引用した「サピア=ウォーフの仮説」については、賛否が多々あるが、個人的には大要は間違っていないと思う。
人間は言葉で考えるので、言葉がない場合には概念自体が存在しない。
小説「1984」(←村上春樹のじゃないよ!ジョージ・オーウェル!)に出てくるニュースピークと呼ばれる言語。
これは言葉を整理して、思想を統制するという目的で作られた言語で、これをしゃべっている限り「反乱」や「革命」の概念を消し去るというモノ。
上記の仮説を逆手に取った創作だ。
放送禁止用語は憲法違反(表現の自由を規制している)であるばかりでなく、人間の概念や思想を狭めることになりかねないよ。
「1984」の世界みたくなっちゃう危険性もある。
明らかに差別用語であるならば、いけないとは思うけど、使用形態によっては今からでも許可すべき。
「めくら」はどう?
視力を失った人に対して、差別的に使われるケースが多々あるので、判断は難しい。
けど、文字を理解できない(←文盲も最近差別用語になりつつある)や、物事の筋道や本質をわきまえない人と言う意味もある。
「めくら判を押す」なんてのは、今でも普通に使うよね?(使わない?)
これは視力とは関係なく、文字を読まないでハンコを押すと言う意味。
では、「いざる」はどう?
差別的な要素は少ないよね?
「法事の時に、正座で足が痺れたので、”いざって”仏前まで行って焼香した。」なんて、普通に使うよね?
赤ちゃんのハイハイから歩くまでの間の半立ちの状態も”いざる”と表現するよね?
個人的には、差別用語にするには、無理があると思ってる。
「片手落ち」が差別用語なんて、明らかに間違い。
初めて言い出した人が知識のない人だったと思う。
この場合の「手」は”仕事”と言う意味で、「片手落ち」は仕事半分、中途半端な仕事と言う意味。
この例なんか、明らかに言葉狩り。
こんなんじゃ、「片手間」も危うくなってくる。
「ちょん」と言う単語。
「バカでもちょんでも・・・」と言った場合には、これは朝鮮人をバカにしているし、差別だから絶対にいけないと思う。
けど、「バカちょんカメラ」の「ちょん」は単語自体が違うんだよ。
この場合の「ちょん」は簡単な、インスタントと言う意味。
「バカでも簡単に撮れるカメラ」と言う意味だけど、まあ、「バカ」の方で、語呂が悪いかな(笑)。
例えば、ちょん髷(まげ)は、簡単に結った髷と言う意味で、「ちょん」と言う単語は昔から、簡単なと言う意味で使われてきた。
(「ちょんの間」とかあるしね(笑))
差別用語じゃないかな?とか思われて、単語自体が廃れてきていて、使い方もわからない人が多くなっていると思う。
ちなみに・・・。 「チョンガー」は朝鮮語で「独身」と言う意味。
「チョンボ」は朝鮮語で「ずる」と言う意味。
どちらも朝鮮語を語源とする言葉で、差別用語でもなんでも無いんだけど、使いづらくなっているよね?
言葉は概念を作り、思考を生み出す。
差別用語を全て無くせば、差別は無くなるのか?
変質して存在するのではないかというのが、現在では通説になっている。
なら、「サピア=ウォーフの仮説」は否定される?
んんー、どうなんだろう?
P.S.
そう言った意味では、今はだいぶ緩くなった?
全国ネット以外(東京MXとか)はコードが違う様だしね。
差別至上主義者が、どういう思考回路で行動しているかわからないけど、権力者による”焚書”と変わらない愚かさだよ。